いやん///
- 生まれた年代:1990年代
- タイプ:いい子(意味深)・変人になりきれないいっぱんぴーぽー
- 好きなもの:ボッチでいられる時間。睡眠。
- 嫌いなもの:努力・締切
- コミュ力:聴き専あいづちぶっぱ。
- 学力:高校からボロが出る感じ。
- 小学生の休み時間:じゆうちょうにポケモンをかく
もくじ
趣味:毎日毎晩ニンテンドー系ゲームばかりだっだはずなんだ。
あの頃は純粋にゲームを楽しんでいた。
幼稚園児のころから始めすっかりゲームっ子。
個体値、努力値、そんな数値も知らずに純粋に楽しんでいたはずなんだ。
いや、その数値を知ってから、さらにゲームに魅力を感じハマっていたんだ。
しかし高校時代からスマホが普及し始める。
寝る間も惜しんで、○ズドラやらデレ○テやら、いろんなソシャゲを飽食してやった。
スタミナ時間を気にしたり、無課金に美徳を感じたり、目が乾いてきたり。
5〜6年やった頃、
私はふと気付いたのだ。
こんなことに毎日時間を費やしてても、死んだら何も残らないじゃん!
どんなに激レアモンスターを当てたって、
どんなにコツコツレベルを上げたって、
どんなに高個体値のタマゴを孵化したって、
私が死んだら何も残らないのだ。
狂い始めた。
私の存在価値とは?
なんのためっにぃうぅまれてぇぇえ、なぁにをしッて生きるのかぁぁ?
わからないまま終わる。
そーんなのーはっ
嫌 だ ! !
そう考え始めたのは就職活動期間まっただ中。
Fラン動物園大学のくせに周りはスーツに身を固め、面接だ何だ内定だ何だ。
得意なこと:レールの上を歩くこと
自らの人生で成し遂げたいことを考え始めるには、遅かった。
親や学校の言うことを聞き、
己を消すことに慣れ、レールに従って育ってきた私には、
自分でそのレールを捻じ曲げるチカラも勇気も無かった。
敷かれたレールの中でも、自らITの業界を目指していたはずだった。
でもいざ会社説明会に行くと、
どこも胡散臭くて、興味なんて1ミリもわかなかったし、
何より、自分の時間を拘束されることが嫌いだった私に、魅力的に映る企業なんてほとんどなかった。
2つぐらいは、面白そうと思えた企業にも出会ったが、
そんなところから自分が内定もらえるわけが無いと、
エントリーシートを書く前から失恋していたのだった。
コミュ力も何も無い、ゲームを20数年やっていただけのノロマ野郎なのだ。
時間を守ることが大嫌いな私に仕事なんてハナから向いていないのだ。
私なんてなんの価値もない
ピアノも一応習ってたし、部活も吹奏楽部で6年間やってきた。
私に能力があるとしたらそこしか無い。
でもその長年の経験で、
自分にプレイヤー(演奏者)の才能が無いことはわかっていた。
ならば作曲だ!
高校の頃に出会ったVOCALOIDに感化され、そんな選択肢が生まれていた。
エントリーシートも書かず、
研究室にも顔を出すこともなく、
たまに親ともケンカしながら、
すがるように、作曲を始めた。
あわよくば1曲ドカンとあてたろか!
不労所得こそサイキョーじゃね?
そんな陰謀もくわだてながら
大合奏バンド○ラザーズPで曲を作ってはコンテストに投稿していた。
しかし受賞をすることは無かった。
唯一のよりどころだった音楽の才も、自分には無かったのだな。
10月を過ぎ、世の中は内定式とか言う馬鹿げた祭りをやっていたが、
夢も能力も内定も無い私は学校の就職課から呼ばれた。
内定辞退者の穴を埋めたいという会社が、
穴を埋めるべく学校に声をかけていたのだ。
正直興味は無かったが、社内見学や待遇を見て雰囲気的に続けられそうだったこともあり、話をうけた。
もちろんエントリーシートや面接はやったが、敵はいなかった。
就職した。
またレールに乗ったのだ。
職業:システムエンジニアという名の技量も無い調整屋さん
プログラムを書いて、何かを自分の手で作っていく仕事が出来るならと入社を決めた会社だった。
しかし実際は、
ベンダーにカネをバラまいてはあれを作れや直せやと指示を出し、
隣のチームとアーだこーだメールや会話するばかりの部署に配属となってしまった。
しかし、幸運にも人間関係はとても良好だった。
逆に良好じゃなかったら速攻でリタイアしていたかもしれない。
忙しさに洗脳されながら、瞬く間に時間が過ぎていく。
就職して3年間、
環境の変化や、やはり苦手な”仕事”に毎日疲弊し、
土日も、仕事に向けて体力温存するためにと遊びに遊びきれないまま時間が過ぎてしまった。
気づけば給料は、大半をDTM関連商品のために費やしていた。
趣味としてでも音楽を続けたかったのだ。
才能が無いとわかっていても諦めきれていなかった。
しかし、月曜日が来るのは怖いし、
才能が無いのを晒したくないし、
スマホポチポチしているのがラクだったので、
諦めてないクセにほとんど何も作らなかった。
しかし、
どうすればそれっぽい曲が作れるのか、とか
作るために何が足りていないのか、とか
自ら楽しんでグーグル先生を訪ねていくことは、
ゲームの攻略法や自己啓発系以外には、DTMくらいしかなかった。
アウトプットはできなくても、作曲に興味があることに変わりなかった。
IT業界にいるクセにIT関連の用語をググらないのだから、きっとそうだ。
そうやって言い聞かせて、日曜日はスマホに食い付き夜更かしをする。
夢のために使いきれない休日を悔やみ、
平日は仕事のために時間と体力を捧げる。
満員電車は毎日走る。
決まった時間に家を出て、走って満員電車に飛び込んでいく。
なんて滑稽なことだ。
こんなこと数十年も続けるとか
アホくさ
このまま社畜として人生を終えるのだけは嫌だ。
性格:おくびょう
もともと私は、皮膚や髪や眉などが部分的に白くなる病気を持っています。
幼稚園児の頃、悪気なく「おばあちゃんじゃん」と言われてからか、
人一倍人の目を気にする子に育ちました。
特に中学生のころは活発な子との接触は避け、
イジメの対象とならない様に、とにかく空気を読みまくりました。
いかに空気になるかを極めていました。
学校という世界は、そんな子を優秀として扱ってくれることもあり、
結果、小中高大、どの時代もイジメられることなく過ごすことが出来ました。
大成功!!
だと思ったそこのあなた。
違ったんです。。
自己の無い子のできあがりです。
自分の意見なんて無い。
周囲の機嫌をそこねてはならない。
ディズ○ーランド行きたいと言えば嫌でも付き合え。
返事はYESだ。
とにかく口を出すな。
無になるのだ。
そんなの10年以上もやってれば、
無意識に、やりたくなくてもやっちゃうレベルです。
将来の夢を書きましょう。
何を書けば正解ですか?
何を書けば嫌われずに、イジメられずにすみますか?
失敗しなかったからこそ、自分を出した時に何が起こるかわからない。
妥協点がわからないまま大人になってしまいました。
失敗が怖いのです。
おくびょうものは長い物に巻かれないと死んじゃうのです。
そう。まさにレールみたいな。
最近のテーマ:アウトプット
レールに乗っかってたどりついた仕事ではありましたが、
自己を出すためのアウトプットのスキルをいやが応でも学べました。
メールの書き方、電話応答、議事録、論述、スピーチ、などなど。
そうすると少し自信がついてきました。
また、仕事上何の衝突もないわけではありませんでした。
「いや、それ違くないですか?」
と言えるようにもなってきた頃、気付きました。
実は自己が無いのではなく、
自己をアウトプット出来ていなかっただけなのでは無いかと。
Twitterで自分の意見を述べてみたり、
いいね0個のツイートでも自分が良いと思ったものにはいいねを送るなど、
身近なことから、自分の意思をアウトプットするよう心掛けはじめました。
自分のやりたいことのために生きていける
いつかそんな環境を作れる日を信じて、
誰から言われたわけでもなく、
自らが勝手に、自らのために努力を始めたのです。
まさか勉強が大嫌いで受験勉強もしてないような私が
努力を楽しめるようになるなんて思っていませんでした。
まだ怖さやめんどくささを払しょくできてはいませんが、
自分のペースで、少しずつ、曲も投稿するようになりました。
人生が少しずつ色づいて行くのを感じています。
この調子で、ジョブチェンジも目指せたらなんて企ててます。
楽しいです。
このブログもそんなアウトプットのひとつだったりします。
レールの外に草花の道が見えてきました。
人生の目的:自分を見失っている子を救いたい。
仲間を救いたいです。
空気を読む子を良しとする学校や親を卒業してくる人たちが居る限り、
その世界に洗脳されて、自分の気持ちや本当にやりたかったことを諦めている人たちが、少なからず居るのではないかと思っています。
いや、そんな内なる思いにすら気づいていない人がたくさんいるのではないか、と考えています。
正直すべて私の憶測でしかありません。
実際私にできることは無いのかもしれません。
少なくとも国や政治を変えるほどの力は無いと思っています。
ですが、イチ仲間として発信できる情報があるはずだと思っています。
自分を表に出すことの楽しさを知らないまま死んでしまうなんて、
もったいないし、きっと後悔しちゃいます。
自分も、この気持ちを表に出さずに死んでしまうのは嫌なのです。
私にできることとして、
私の生きザマが誰かのみちしるべになれば、と思い、
手段のひとつとして、このブログを遺して行ければと思っています。
おくびょうものにもできることがあるはず。